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2020/8/6
奈良機械 機械遺産特設ページに「開発者について」 がアップされました。

奈良機械 機械遺産特設ページに「開発者について」 がアップされました。

奈良機械 機械遺産特設ページ「開発者について」

75年前(昭和20年)の 国民的危機(飢餓)を救うための食糧難対策で「芋の蔓など未利用食糧資源」の粉砕に「粉砕機」を役立てた熱血 技術者は、機械遺産「自由粉砕機」の開発者:奈良自由造でした。
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この「自由粉砕機」は、名前が示す通り、固い鉱物から柔らかい食品まで広範囲の材料の粉砕に使われました。また、戦後、食糧難対策で芋の蔓の粉砕でも使われました。(引用:2020年度 機械遺産パンフレット

 終戦後の食糧難では、多くの人が餓えに苦しみ、お米などの主食に代わる代用食品(芋の蔓、どんぐり、ふすま、澱粉かすなどの粉食原料)の収集と粉砕 1)2)が課題でした。芋の蔓や小麦ふすまの粉砕には、 これまでの粉砕機では役に立ちませんが、「自由粉砕機」ではこれが出来ました 3)

奈良自由造は 『一人でも多く食い延ばして救う為に、この粉砕機がお役に立つのだ 。』3) と従業員にハッパを掛け、「自由粉砕機」を増産し、粉食原料の生産に寄与しました。

昭和21年正月、当時の粉食協会会長(製菓会社社長)の音頭取りで、国内の主な粉砕機メーカは、総員一斉に生産を始め3)、その総力で国民的危機(飢餓)を救いました。

食糧難が一段落した後も「自由粉砕機」は、食料増産のための化学肥料(硫安、加里、尿素等)や農薬(パラチオン、DDT,BHC等)の生産に活用され、戦後の復興に貢献しました。

「自由粉砕機」は、現在(2020年)まで累計1,3000台を越える納入実績があり、代表的応用分野である食品関連産業の発展に大きく貢献しており、その「第1号機」を開発したのが、
熱血技術者 奈良自由造だったのです。

【参考文献】
1)秋田魁新報(昭和20年7月25日付け)
「馬鈴薯の茎と葉を粉食、県内学童と粉砕機を総動員」
2)毎日新聞(昭和21年11月5日付け)
「農家に訴ふ(農林次官放送):一本の薯蔓でも、粉食原料を集めよ」
3)「山椒の年輪」 奈良自由市 著、1963(昭和38)年、213〜217ページ、東京書房